オジサンの小言 - 愛される若者へ

 2011/06/17(金) 00:00  

久しぶりに深酒をしました。
どれくらい飲んだら深酒かは知りませんが、ここ最近の自分を基準にするかなり呑んだ方ではないでしょうか。近所にある旨い焼き鳥屋に夕方5時半に入店し、結局ラストオーダーまで居たのですが、「そんなに居たかな?」というほどの、あっという間の時間の過ぎ去り方でした。楽しい時間というのはそういうものなのでしょう。

日頃お世話になっているクライアントの方(今や友人)と、その方の紹介による20代半ばの好青年と呑んでいたのですが、僕にとっては初対面の青年と呑む機会は今までなかったので実に面白い時間だったわけです。

その彼と同い年の頃の自分を重ね合わせてみると、当時の僕なんかより断然素晴らしい好青年ではあったのですが、僕もその昔、気づかない間にやらかしていたある種の「失敗」をその彼もやらかしていまして、まぁその辺りが微笑ましくもありました。

そのある種の「失敗」を失敗と気づくまでには、人それぞれでしょうが(気がつかないまま人生を終える人もきっと居るのでしょう)、案外時間のかかるものです。ほとんどの周りの大人はそういうのを目にしても、なかなかそれを教えてはくれません。ほっとかれます。職場の仲間とかであれば、中には面倒見の良い先輩が居たりするかもしれませんが、なかなか相手の事を想って指導はしてくれないものです。

そう仮定すると、20代前半の頃に「言ってくれる先輩」を持てた僕は本当に幸運に恵まれたなぁと思いますし、(ちょうどその頃から読書に目覚めたのですが、)自ら本を通して学ぶ習慣を身につけた事も同時に良かったなぁと改めて思います。

「この方が言うのであれば・・」と想える、信頼出来る先輩を持つ事とか自分に良い影響を与える本と出会う事は、きっと「人生の財産」であったり「人生の贈り物」だと思います。

「先輩のアドバイスを一旦は受け止め、自分なりにそれについて考え、消化し、あとで自分の人生にそのアドバイスを取り入れるかを選択をする」という姿勢を自分の中に築くと、たとえ目の前の人が別にアドバイスをしようと思っていなくて発言した事でさえ、自分にとって何かのヒントになったり、大げさに言えば道を切り開くきっかけになったりする、と僕は思っているのですが、今回、その青年からも色々学ばせてもらいました。

しかし僕も「オジサンの小言」を言う歳になったようです。
初対面の青年だからよせばいいのに、つい言ってあげたくなってしまう・・。
でも実は小言って(このブログ記事も含めて)危ないのです。自分ではアドバイスしているつもりでも、それはただ単に自分を満足させるだけの「エゴ」から発している事って結構あるのです。しかし、その発言している瞬間になかなかそれに気づけないのです。「エゴ」から発してしまっている時には、往々にして相手は素直に聞けず拒絶してしまいます。昨日の自分は大丈夫だったのでしょうか・・(汗)。

そういえば、その「エゴ」について書かれた面白い(しかし、ちょっと難しい)本があります。エックハルト・トール 著の「ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-」という本です(と、紹介しているものの、詳しくご紹介できないくらい忘れてしまっているので、また読んでみようと思います/苦笑)。

さて、長くなってしまいますが、先にふれた青年の「ある種の失敗」とは何か?、自分への自戒の意味も込めて感じた事をここに残しておこうと思います。失敗と言っても「あくまで僕の視点では」という前提が入ります。別にこれが正解というワケではないので、あしからず。また、10年くらい経って、もし自分がこのブログ記事を読む事があったら「あの頃、俺も若かったなぁ。こんな事感じたり、言っていたりしたんだ」と笑える期待も込めて・・。


彼がやらかした失敗とは?

このブログは「呑んだ」話から始まりましたが、実は飲み屋に行く前にカフェで青年のビジネス・プランを聞いて、僕がそれに協力出来るか否かを話し合う場がありました。以下はそのカフェにおける話です。

  • 自分が一番最後にアポイント場所に到着
  • 初対面の相手に適切でない服装
  • 名刺の準備ができていない
  • 相手に渡す資料の準備がない
  • 裏付けがないまま「自信があります」と言う(逆効果)
  • 会話をしている場で自分の携帯電話を操作
  • 会う相手の基本情報(プロフィール)を調べていない

もし紹介ではなく、単純にビジネスだけでお会いしていたとすれば、今のままではビジネス的な成果を得るのは難しいでしょう。基本が出来ていないと、例えプランが素晴らしくとも「この人は本当に大丈夫?」という余計な不安がつきまとうからです。ビジネスのスタートは、まず「信頼を獲得する」ことではないでしょうか。

まぁ幸い、それをカヴァーする天性の愛されるキャラみたいなモノを彼は持っておりまして、色々気になることはありつつも、嫌な感じがしたわけではありません。むしろ色々可能性を感じさせてくれた人でした。


新たな出会いをチャンスに変える人、逃す人

僕は幸いにも自ら志した音楽業界において、いわゆる「大御所」と言われている方や「売れっ子」の方と出会う事が出来、今でも久しぶりにお会いすると僕の事を覚えていただいていて、話しかけてもらえます。それは本当にありがたい財産です。

しかし、せっかく出会っても忘れ去られてしまう人もいます。それはなぜかと考えると、ケースバイケースで色々理由は考えられるのですが、しかし共通している事もあると思います。

昔から日本では大事にされてきた考え方ですが「礼儀をわきまえる」という概念はやはり大切です。

礼儀をわきまえる、なんて古くさいと思う若者も多いでしょうが、「新たな出会い」を「長い付き合い」に変化させるにはやはり根底にこれがないとダメなのです。

僕も特に20代の頃には、これが分かっていなくて色々失敗をやらかしました。一度失礼な印象を与えてしまうと、その方からは(自分が後に更生したとしても)なかなか過去のイメージは払拭されません。

では「礼儀をわきまえる」にはどうしたら良いのか?
礼儀を考えると、作法を思い浮かべる方も多いでしょうが、それをある種「こうすれば良いだろう」というカタチから入る結果となるのであれば、それはNGでしょう。礼儀は僕が思うにシンプルです。

それは「思いやり」です。

自分の出来る限りで相手の事を考えて、それを表現していくことだと思います。たとえ結果的に悪い表現になったとしても、根底に「相手を思いやる」気持ちから発した行動であれば、相手にそれが伝わり、多くは許されますし、何かを教えていただけるきっかけにもなります。

考え方もシンプルです。相手の立場になって物事を考え「こちら方が相手に喜んでもらえるだろうな」ということを想像し、あとはベストな方法を選択し行動に移します。

せっかく出会ったチャンスでも、相手が素晴らしい人でも、自分には合わない人は当然います。無理をすることはありません。
自分自身に嘘をつかない正直な気持ちで、自然に相手を思いやる気持ちが出てくる方というのは、自分の人生において大切な人となる可能性を秘めている・・そう思います。

何はともあれ、昨日の彼にとって幸せな人生が待っていますように・・。

最終修正日 2015/06/15(月) 18:55
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